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エンジニアをやめたあとの話:企画職で得られたこと

この記事はdwango アドベントカレンダー 24日目の記事です。メリークリスマス🎅

23日目は kadoyau さんの 社内発表で『AIによる画像生成勉強会』を開催しました! - dwango on GitHub という記事でした。こちらもぜひ。


2021年9月、私はこのblogで「30歳目前でエンジニアをやめた話」という記事を書きました。
この記事ではあれからどうなったのか?の話を書きます。

TL;DR(長いので3行で)

  • 企画職(開発ディレクター)を2021年6月から2022年7月まで1年と2ヶ月間務めた。現在は別部署で再びエンジニア職として働いている
  • 多くの経験を得て、企画職、とくに開発ディレクターのロールを一定のレベルでできるようになった
  • 開発職に戻ったのは良いチャンスが巡ってきたから。今後は自分の領域を固定せず境目のない働き方をしていきたい

企画職でやったこと・得たこと

エンジニアをやめたあとの私は、「とにかく新しくチャレンジをしなければ!」と気負い立っていました。 そのため、主務以外にも手を伸ばしてさまざまな業務に携わってきました。 行った主な業務を列挙しながら、何に苦労して何を得たのか書いてみます。

1: 開発ディレクター

開発ディレクターは開発のディレクション業務を主に行うロールです。 あまり耳馴染みの無い方も多いかもしれません。

私の行っていた業務のフローをかんたんにまとめると以下のようになります:*1

  • 課題決定
    • DAUや動画投稿者数などのKPIを見たり、ユーザーの声を聴いたりしながら、今後のロードマップと照らし合わせて今やるべきことを決める
  • 企画立案
    • 問題を解決するためにどんな機能を作るべきか考えて決める(このとき、何を達成したら成功なのかを決める。つまりKGI, KPIを決める)
  • プレゼン
    • いろいろな人の意見を取り入れながら企画をブラッシュアップし、決裁者にOKをもらう
  • 作業計画
    • 必要な作業を洗い出し、エンジニアの稼働工数も調べてもらい、計画を立てる
  • 制作進行
    • エンジニアやデザイナーに動いてもらう。定例会議を実施して作業進捗を管理する(この間、企画者は必要な作業や調整を行う)
  • 振り返り
    • KPIを達成できたのか効果検証し、KPT法で良かった点と反省点を洗い出す

つまり、 企画の対象がWebサービスの開発であり、エンジニアやデザイナーをとりまとめて制作進行するのが開発ディレクター です*2

私はもともと動画投稿者だった経験を活かし、動画投稿に関わる機能の企画を担当し、主に以下の案件などを企画・制作進行してリリースしました。

blog.nicovideo.jp blog.nicovideo.jp

とくにこのディレクターの業務では、ディレクターの本質である「調整」を学び、それに苦心しました。

ニコニコ動画のような老舗で大規模なWebサービスは、持っている機能も多ければ関係者も内外に多くいます。 そのため各所との利害関係の調整は欠かせません。 案件について各所に説明して周り、悪影響が出ないように内容やリリース時期などを調整する働きが求められます。 各所と調整しているうちに当初の企画案から内容が変わることも少なくありません。

企画職になって最初の頃は、自分の案がうまくいかなかったり、ほかの人の意見によって企画の内容が変わってくることに抵抗を感じていました。 しかし、いくつかのタイプの案件をこなすことで、企画として本当にやりたいことの芯だけは残して、あとは状況に応じて柔軟に変えていくしなやかさや、企画の実現のためにあらゆる手段を講じるしたたかさがディレクターには必要なのだなと学びました。

2: 別プロジェクトでの企画とマネジメント

少々説明が難しいのですが、「ある設定された課題についてチームで議論し、課題解決のため社内向けの企画を立てて実施する」というプロジェクトが社内公募でメンバーを募集しており、 私はそこに参加してチームリーダーを担うことになりました。

このプロジェクトでは半年以上時間をかけてじっくりと課題発見から企画立案を行いました。 現在は社内向けの企画を実施・運営しています。

とくにこの業務では、異なる立場の方々の意見を聞いて議論を進めていくファシリテーションの実践の場として機能しました。 エンジニアの業務では会議の参加者の発言を促して議論を取りまとめるような役割を担うことは稀だったので、なかなか得がたいスキルを鍛えられたと考えています。

加えて、企画実施にあたり社内調整のために 普段は接点がない部署・職位の方ともやり取りすることがあり、 誰に対しても物怖じせず物事を説明するふるまいを身につける訓練にもなりました。

3. メンター

開発ディレクターの部署には新卒の新入社員の方がおり、ある時その方のメンターが退職されたので、代わりに私がメンター役をやらせていただきました。*3

私は新卒でエンジニアとして働き始めた身なので、 企画職として社会人生活をスタートした方とは 育ってきた環境が大きく異なりました。 最初は考え方や作業の仕方など、お互いにギャップがあるのを感じていましたが、 人のお話を聴くのは好きなので、楽しく役割を全うできました。

とくにこのメンター役では、自分から何かを教えるのではなく、相手の思考の整理のお手伝いをして、あくまでメンティーに考えてもらうことを意識していました。

経験のないことに取り組んでいるときは「何が分からないのか分からない」状態に陥りがちだと思います。 こうした時に一方的に解決方法をお伝えしてしまうのではなく、「今何が分からないのか」をメンティーと一緒に言語化して整理し、その言語化した課題に対してひとつひとつ取り組んでいくよう心がけました。

私がメンター役であったのは半年間程度でしたが、主にタスク整理や資料のまとめ方など、職種・業種問わず必要となる基本的なスキルをお伝えできたのではないかと思っています。 また、私にとっては文系で大学を卒業したばかりの等身大の新社会人と接する貴重な機会でもあり、彼らの価値観を学べたという意味でもたいへん勉強になりました*4

4. インタビュー記事の企画と作成

当時、さらに別の公募のプロジェクトにも参加しており、社員の方に仕事の内容や経歴などを深堀りしてインタビューする記事を何度か作成していました。

この業務ではインタビューの最初から最後まで、つまり誰にどんなことを聞いてどんな記事を書きたいのかを企画するところから、 実際にインタビューを実施して内容を書き起こし、 内容を取捨選択して記事にまとめて推敲して仕上げて社内でリリースするところまでを行っていました。

実際に何度かインタビュー記事をつくってみて、話を聞きに行く前の質問を作った段階でインタビュー企画の良し悪しはほとんど決定していることを身をもって理解できました。 やはり「企画が良くないといいモノはつくれない」という命題はかなりの場面において正しいのだなあと思わされます。

とくにこの業務では、質問を練り上げることや、記事の内容を切り捨てまくって編集すること*5、それからキャッチーなタイトルや見出しをつけることに苦労しました。

インタビュー記事のリリース時には、3行で伝わるように記事をさらに短くまとめたり、ひとことで表すタイトルをつけたりなど、記事を読んでもらえるようにキャッチーに非常に短くまとめる作業もやりました。これはインタビューに限らず企画全般に必要なことかもしれませんね。

5. 生放送制作のアシスタント

とある機会に恵まれ、生放送番組制作の現場で番組のディレクターのもとアシスタントディレクターのような業務を行う経験をしました。

生放送番組を実施するためには、視聴者に見えない部分で多くの準備が必要です。私はロケ地を押さえてロケハンに行ったり、番組に必要な小道具を買い集めたりなど、番組のクリエイティブに関わらないような雑用的な業務を行っていました。

この業務では、私自身が何か大きな働きをできたわけではないですが、普段全く関わることがない番組制作の方々と一緒にお仕事をさせていただき彼らの仕事を間近で見られたこと、それから厳しいスケジュールの中で番組準備を進めて企画を作り込むヒリヒリとしたスピード感を肌身で感じられたことは貴重な経験でした。

現在私はフルリモートワークで会議もすべてリモートですし、エンジニア職でも企画職でも自宅でPCに向き合う業務である点には変わりありません。しかし、番組制作となると、当然ですが撮影はヒトもモノもリアルに動いて動かす必要があります。 そのリアルな現場では、私の仕事の常識は必ずしも通用するわけではなく、文化の違いに大きく戸惑いました。 圧倒的スピード感のなか事態が進んでゆくのになんとかしがみつき、放送を完了できました。

正直、この業務は私には適性が無かったのか、肉体的にも精神的にも負担が大きい業務ではありました。しかし、そのコストを上回る経験と学びが得られたと思っています。

なぜエンジニア職に戻ったのか?

上述のように、企画職では主務の開発ディレクター以外でも非常に多くの経験を得ることができました。 しかし、2022年7月いっぱいで企画職から離れ、今はまたエンジニア職として働いています。

ふたたびエンジニア職になった理由は、以前から一緒に働いてみたかったお方がたまたま社内でプロジェクトメンバーを募集しており、そこのエンジニア職のポストに応募してみたら受かったからです。

その方は企画職とエンジニア職を両立し続けている稀有な方で、実は私が以前からロールモデルとして据えており、自分が企画職にキャリアチェンジした時にもこの方に憧れて自分を奮い立たせてチャレンジした節がありました。 そんな方がメンバーを募集していたので、応募しない手はないと思った私は、プロジェクトの門を叩き新たな環境に身を投じました。

エンジニア職に戻ったのは本当に偶然でしたが、他人から見たら「たった1年そこらで企画職を辞めた」ように見られてしまうと思います。 そこで、企画職を離れた理由にネガティブな点は特にないものの、企画職を続けていくにあたって感じていた「壁」を当時のツイートを引用しながら列挙してみようと思います。

スペシャリストにはなれない

以前、企画職になった時に書いた記事でエンジニアとしてスペシャリストになることの難しさや違和感について書きました。

企画職として業務に取り組み、一定のレベルで各種業務をこなせるようになりましたが、ディレクターや企画を極めることの難しさを私は身にしみて理解することになります。

エンジニアであれば、自分の技術力が高まればそれがアウトプットの質やスピードに直結するでしょう。しかし、自分が動くのではなく「人を動かす」ことが仕事のディレクターではそうもいきません。

上手に物事を進めていくには、 むしろ人をうまく動かせるようになる必要になり、そのためには例えば関係各所と仲良くして"関係値"を貯めたり、仕事を依頼する人に応じて仕事のやり方を調整して相手が動きやすいように工夫したり、仕事をすすめるうえで障害になりそうなことを察知して前もって根回しをしたりなど、そういったさまざまな「調整」の力が必要になります。

私も「調整」を意識しながら日々の業務にあたっていたものの、調整作業は幅広い対人スキルが求められ、やり方に正解もないことから、極めることの難しさを一層感じていました。

以下のツイートは日々の業務で感じていたことを端的に表している気がします。

心理的負荷

ディレクターは人を動かす仕事であり、自分の働きだけでなんとかなる仕事ではありません。 常に誰かのために動き、何かを用意しているので、開発職よりも責任やプレッシャーを感じやすいように思います。 とくにプレゼンやミーティングなど、明確な期日に合わせて資料などを用意する必要が開発職に比べて圧倒的に多く、スケジュールに追われる日々だと思います。

そのため、ディレクターは長時間労働しがちな現実があると思っています。 私も今年の初旬頃は残業時間が40時間を越えた月が入社以降はじめて発生してしまいました。

私はやや心配性な性格のためか新たなキャリアに奮起していたためか、いろいろ気にして少し過剰気味にていねいに仕事しようとしていたのが労働時間が伸びた原因だったのではないかと思っています。 うまく人にタスクを任せたり、資料作成や数値測定の効率化を図ったり、スケジューリングを工夫したりなど、時間の使い方に関して改善の余地はありましたが、 全体的に人との仕事のコミュニケーションにもっと習熟しなければならないなあと感じていました。

企画を考えることは "自傷行為" に近い

持論です。

新たに企画を考えるとき、自分の考えたアイデアを自分でダメ出しして練り上げていきます。 自分で練り上げただけでは全く不十分で、いろいろな人に見てもらってダメ出ししてもらい、企画を煮詰めていきます。 クリエイティブな作業には共通の「産みの苦しみ」の一種ではありますが、自分が考えた案が否定され(たように感じ)つづけるのはつらいものがあります。

企画のダメ出しは言わばエンジニアにおける「レビュー」と変わらない作業ではあります。 しかし、企画はわりと誰でもダメ出しできてしまう一方で、ダメ出しされた要求を上手に企画に取り込むのが難しく、 制約条件が増えていきだんだんと「あちらを立てればこちらが立たず」の状態になっていきます。大きい企画であればなおさらです。 こうした迷路のような制約条件のなかで解くべき課題を決定して企画を立てるのは相当難しいです。

現実のなかで企画を立てるにはヒト・モノ・カネの制限があり、 それをさらに限られた時間のなかで企画を作る必要があるとなると、これも相当な心理的負荷になります*6

先述の社内公募プロジェクトで企画を考える機会が多かったので企画立案にはかなり慣れることができました。 それでも、はじめて本気で企画を作ろうと向き合った時は精神的にきつく、自分で考えた案を自分できびしく練り上げる必要があることから「企画を考えるのはある種の自傷行為だなぁ」と思うに至りました。

慣れてしまえばある程度は「そんなものか」と思えるようになりますし、企画を考えるのは夢を描く過程ですので楽しい側面も大きいです。誰かに自分の企画に共感してもらえた時の嬉しさは、エンジニアの業務では味わえないそれだと思います *7

どちらにせよ、企画職の醍醐味かつ核心たる企画立案のスキルは一朝一夕で身につくものではないと思わされました。

数字で説得することの難しさ

企画職で求められるスキルの中で私に最も不足していると考えているのが、数字を使って伝えることです。 私はどちらかというと感情とか感性に訴えかけるほうが得意というかやりがちで、 数字から客観的・論理的に案を作るのが苦手でした。

とくに、何かをつくって人を動かすには人件費が発生するため、それに見合うメリット、いわば「売上」を求められます。 大きなことをやるためには、当然ではありますがそれだけの売上見込みが必要なのです。 私が開発ディレクターで実施した案件も売上見込みを出して事業的にOKが取れたので実施できたわけですが、これには相当苦労しました。 売上をつくることの難しさを重々思い知らされました。

まれにベテラン社員で売上を考えるのがうまい人も居たりしましたが、私には真似できない領域だなぁと感じており、どうやって鍛えればよいものかと悩んでいました。

今後はどうなりたいのか?

以上のように、ディレクターを続けるなかでいくつかの「壁」を感じていました。

ふたたびエンジニアに戻ってきた今、自分はディレクターの働き方がかなり好きだったのだなあと気付かされました。 エンジニアでもディレクターでもモノを作っていくことが好きなことは変わらないので、今後は職種や役割に固執せず、いろんな役割に回ってから自分の作りたいモノを作っていければと思っています。

幸いなことに今のチームではかなり自由に働かせてもらっており、エンジニア職ではありますが、プロジェクトマネジメントや仕様策定・調整など、ディレクター的な動きもさせてもらっています。プロジェクトマネジメントや仕様調整などあまりエンジニアのやりたがらない業務だと思いますので、足りなそうな役割を積極的にカバーしていきたいです。

おわりに

企画職は1年と2ヶ月で一旦離れることになりましたが、濃密な経験をすることができ、以前とは比較にならないくらい視界が広がりました。1度エンジニアをやめる決断をしたのは今考えても素晴らしい判断をしたなあと思っています。

今後は職種などの境目のない働き方をして、どこでも働ける人になりたいです。 これからの人生も興味があることにいつでも飛び込んでいける状態にしていきたいと思います。

*1:※案件によってスキップできる過程があります

*2:キャンペーンなどプロモーション寄りの企画となるとWebディレクターと呼ばれることが多い気がします。プロモを専門とした部署は別途ありました

*3:ディレクターとしては私のほうが後輩ではありましたが・・・

*4:私は情報系で大学院の修士を取っており、メンティーとはまた違った環境に身を置いていました

*5:ここで書いた記事では内容の8割くらい切り捨てていました。世の中に出ているインタビューはおそらくそれ以上にバッサリと内容を切り捨てているはずです

*6:しかも往々にして制限は後から出てくるので、うまくいくはずの企画が後から出てきた問題によって潰れてしまうこともあります。精神的ダメージは計り知れません

*7:なお、私は企画を考えるときは散歩しながら考えるのが好きで、さらにひとりで飲み屋に立ち寄って喧騒のなか酒を飲みながらアイデアを考えるのが好きです