namaozi’s blog

namaoziが書き留めておきたいことを書く場所

野菜を育てて暮らす技術 ~ 1年間の野菜づくり生活総まとめ ~

 

この記事はdwangoアドベントカレンダー2023 17日目の記事です。

namaoziです。2023年は仕事面では新サービスのリリースに携わって生まれたてのサービスを育てる仕事をしたり、私生活ではアルバムをリリースしたり入籍したりといろいろありましたが、1年間通して最も継続して努力し、かつ苦労したことは、間違いなく野菜づくりでした。

この記事では「野菜を育てて暮らす技術」と称し、野菜づくりに至った背景と、野菜づくりを支える技術や、野菜づくりに対する思いを記します。

あとがき

ものすごく長くなってしまったので、あとがきのポエムを先に持ってきました。

1年間の野菜づくりで25種の野菜を栽培し、29種の野菜を収穫し、運搬し、調理し、保存し、食べました。得られた経験は多岐にわたり、凝縮して言語化することは難しいですが、そのすべてがたいへんに得難く、文字通り自分の血肉となりました。

生き物を育てることは苦難の連続でした。代え難い喜びも数多くありましたが、割合でいえば、つらみ8割、楽しさ2割くらいの比率でした。

たとえば、畑の野菜の成長は自分でコントロールできるものではなく、芽が出てほしいのに出てこなかったり、適度なサイズで留まってほしいのにぐんぐん成長してしまったりします。

それから、野菜は人間に好ましい部位を人間に好ましい時期で収穫することで、初めて食材としての”野菜”になります。つまり野菜の栽培には継続した手入れと管理が必要です。そしてその作業は、夏の暑い日も冬の寒い日も、雨の日も風の日も、自分の意志に関わらずやらねばなりません。

この記事のタイトルを「野菜づくり生活」としたのは、野菜づくりはまさしく生活の営みそのものであり、農業はまさに"生業"であり、畑で栽培するだけではないことを経験したからでした。多くの苦労をしましたが、野菜づくり生活ができてトータルではよかったと思ってます。

野菜づくりに時間をかけるために犠牲にしていたことが多くあったので、来年の1月で一旦やめることにしました。しかし土いじり自体は純粋に楽しいので、また畑仕事できる機会を作っていきたいと思います。

 

以下から本編です。

野菜づくりを始めた背景

私はいま東京の葛飾区に在住しています。あるとき区の広報紙に掲載されていた「農業体験農園」の参加募集を見かけて興味を持ち、以前から農業に漠然とした憧れがあったため、渡りに舟と思って参加申込して野菜づくりを始めました。

「農業体験農園」は全国各所に点在しているようで、葛飾区でも区と契約している農園がいくつかあります。WEBサイトに農園マップもありましたので、この記事を読んで興味が湧いた方はぜひ調べてみてください。

農業体験農園の大きな特徴は以下の3つです:

  • 農家さんが直接教えてくれる
    • 農園を経営する農家さんから直接教わることができるので、自分で事前に何かを勉強する必要がなく、気楽に始めることができました。
  • 種苗や農具を自分で用意する必要がない
    • 農業に必要なものはほとんどすべて農家さんが用意してくれます。私が自分で用意したのは、長靴、手袋、剪定・収穫用のハサミくらいでした。
      また、年間を通した栽培計画を農家さんが提示してくれるので、利用者はそれに沿って作業するだけで栽培を進めることができます。
      なお、自分の自由に使えるウネもありますので、好きな作物を追加で育てることもできます。
  • 費用が安い
    • 私のお世話になっている農園の契約料金は1年間で45,000円でした。シェア畑 のようなサービスでは、場所によって異なりますが東京では2~3ウネで月間10,000円程度(+別途入会金)かかります。私の農園では1人あたり7ウネ(30㎡)でしたので、シェア畑に比べると半額以下で、単位広さあたりの価格であれば10分の1程度の安さになります。

私は今年(2023年)の3月から畑仕事を始め、春夏と秋冬の2シーズン野菜を育てました。野菜を育てるには継続したケアが必要ですので、今年の5月頃からはほとんど週に1度は畑に赴き畑仕事をしました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/n/namaozi/20231210/20231210172654.pngnouenkyoukai.com

3月初旬の畑の初期状態。中央の四辺が自分に割当られたエリア(約30㎡)。手動で畑を耕して肥料をいれてウネを整える作業を初日に行ったが、キツくて泣きそうになったのも今は昔

野菜づくり生活のフローと課題

野菜づくり生活は、畑での作業だけに収まるものではなく、付随する工程がいくつもあります。私の場合、それぞれの工程にたくさんの課題を抱えていました。

畑までの移動・運搬

家庭菜園のように家の隣に畑があればよいのですが、私の場合は自宅から農園まで直線距離で7kmほどありましたので、その距離を毎回移動する必要がありました。

畑を始める前に畑に通うために自転車を購入し、40分ほどかけて自転車で通っていました。

畑までの道と購入した自転車

畑で収穫した野菜は、当然ですが自宅まで運ばねばなりません。また、今年の夏は異常に暑く、炎天下での自転車の移動は非常に厳しいです。家から畑までが遠いので、収穫量が多いときや猛暑日自転車で移動・運搬するのは地獄でした。

途中からあまりのつらさに耐えかねて、時々タイムズカーシェアを使って車で移動・運搬するようにして、なんとか畑仕事を続けていました。

特に冬は葉物野菜が重く、白菜は2~3kg、大根やキャベツも大きくなると1kgを超えてきます。冬は車での運搬が必要です。

冬季に収穫した野菜たち。車がないと白菜などの運搬は厳しい

また、今回はじめてカーシェアリングービスを契約して利用しました。必要なときに必要なだけ安価で借りられて非常に便利で、ふだんの交通手段に車を加えることができるありがたい存在です。

野菜の洗浄・適切な保管

スーパーに売っている野菜は大変きれいな状態で陳列されていますが、収穫したばかりの野菜はそうではありません。根菜は泥だらけですし、葉物野菜は虫だらけです。自宅に着いたら野菜の洗浄が必要になります。

また、野菜を冷蔵庫で保管する際には、新聞紙でくるんだり、切ってラップで包んだり、ポリ袋に入れたりなど、野菜ごとに適切な方法が異なります。

それらを理解してひとつひとつ保管していく作業は相当な時間を要します。

枝豆を土から引っこ抜いき、さやをバラし塩もみして洗って乾かしてから冷凍保存袋に入れたもの。朝から畑に行き、家で処理をしてこの状態になったのは深夜12時過ぎだった

調理・食べる

これも当然ですが、収穫した野菜は食べないと減りません。30㎡の畑では想像以上の量の野菜が否応なしに収穫できてしまいます。

収穫が始まってからはほぼ毎晩自分で料理をするようになりました。多くの食材を消費するには、それだけ調理に時間もかかります。私は現在リモートワークで働いていますが、日々料理の時間を確保するにはリモートワークは必須でした。

また、夫婦2人でほぼ毎晩料理に使っても食べ切れないことが早々に分かったので、友人や両親をたまに畑に呼び、野菜を持ち帰ってもらっていました。

最盛期の7月は週に1度の収穫でミニトマトが1.5kg穫れたことも。通常サイズのトマトも育てていて、収穫時期も同じなので、毎日がトマト祭りに。

例えば、ナスは数ヶ月間にわたって毎週10本近く収穫できる日々が続きました。嫌気が差さないように消費するには、調理法を変えたり、主菜・副菜と役割を変えながら、毎日のように食材を使う必要があります。収穫が多いということは、調理法も多く知っていないといけないことになるのです。

レシピを都度調べたり考えたりするのも限界を感じ、以下の本を購入してキッチン脇に常設しました。多くの種類の野菜の保存法やレシピがパッと見れるので重宝しています。
また、雑誌読み放題のサブスクに登録し、料理系の雑誌*1からレシピを仕入れるようにしました。

育てた野菜一覧

農家さんが用意してくれた作付け計画は野菜の種類が非常に豊富で、数えたら30種類もありました。以下に育てた野菜を列挙します。*2

※自分は直接育てていないが畑の共用部で栽培していて収穫物をいただいたものには「共用」と記します

  1. つるなしインゲン(春夏)
  2. にんじん(春夏・秋冬)
  3. たまねぎ(春夏・共用)
  4. リーフレタス(春夏)
  5. 枝豆(春夏)
  6. とうもろこし(春夏)
  7. ジャガイモ(春夏)
  8. 八つ頭(春夏〜秋冬)
  9. 甘とうがらし(春夏〜秋冬)
  10. ナス(夏〜秋)
  11. ミニトマト(春夏)
  12. トマト(春夏)
  13. キュウリ(夏)
  14. ねぎ(春夏〜秋冬)
  15. モロヘイヤ(夏、共用)
  16. キャベツ(秋冬)
  17. 首大根(秋冬)
  18. 聖護院大根(秋冬)
  19. チンゲンサイ(秋冬)
  20. 春菊(秋冬)
  21. 小松菜(秋冬)
  22. かぶ(秋冬)
  23. ほうれん草(秋冬)
  24. 白菜(秋冬)
  25. 山東菜(さんとうさい)(秋冬)
  26. ブロッコリー(秋冬)
  27. スティックセニョール(秋冬)
  28. 落花生(秋冬、共用)
  29. さつまいも(秋冬、共用)

それぞれの野菜の魅力とマイベストレシピ

それではメインコンテンツです。たくさんの野菜と接して得た知見をまとめました。また、タイトルの横に総合的なお気に入り度を3段階でつけてみました。

魅力とお気に入りのレシピを記載した後に、気をつけたい点や短所だと思う点、その野菜の思い出なども一言付け加えています。

以下、写真はすべて自分で撮ったものです。

以下、文体が変わります。何卒ご容赦ください

1. つるなしインゲン(★)

サクッ、プリッとした食感が魅力の野菜、というか豆。

シンプルにさっと茹でてごま和えにすると美味しい。穫れたて・茹でたては非常にうまい。幸せになれる。

ただ、畑では一気に大量に実がなるので、処理に困った野菜でもあった。収穫も結構骨が折れる。豆を放置するとどんどん大きく・硬くなって美味しくなくなるので、ある程度細いうちに取ったほうがまだよい。

2. にんじん(★★★)

生でも火を通しても美味しく、保存もかんたんで、1年中使えて利用の幅も広い最高の野菜。

お気に入りはピクルスキャロットラペ。ピクルスは市販のピクルス酢に漬けるだけで美味しくでき、幸せになれる。オタフクのピクルス酢にはかなりお世話になった。
キャロットラペはピーラーで細く剥いて軽く蒸してドレッシングかけるだけ。

春のにんじんはすくすく育ったが、異常に暑かった7月に種をまいたものは1つも芽が出ず、全滅となってしまった。異常気象が憎い。

なお、葉っぱもおいしい。今回は作っていないが天ぷらがうまい。自宅ではかつおぶしと炒めてふりかけ風にして食べたりした。

3. たまねぎ(★★★)

収穫直前のたまねぎ

にんじんと同様、生でも火を通してもおいしく、長期保存がかんたん、何にでも使えるという、全てを兼ね備えた万能、いや全知全能の野菜。

たまねぎは自分で直接育てておらず、収穫だけさせてもらった。

穫ったばかりのたまねぎはオニオンスライスで食べるのが一番好き。幸せになれる。

たまねぎは植物的にはなんとも不思議な生物で、植生も歴史も調べると面白い。なお、包丁で切ると目が痛くなる以外の欠点は一切見当たらない。

4. リーフレタス(★)

ヒラヒラしているレタス。おしゃれ系サラダの必需品。若いうちにサラダで食べるのが一番美味しかった。

なお火を入れて食べても普通に美味しい。しかし、キュウリもそうだが、シャキシャキ系野菜は火を通すと味に飽きやすい欠点がある。

育てるうえではなるべく早く穫ってしまうのがよい。5月に3週間ほど放置してしまい、レタスを荒れ放題にさせてしまったのを野菜づくり生活中で一番後悔している。春から夏に向けての植物の成長スピードを侮っていた。

5. 枝豆(★★)

枝についてる豆、枝豆。料理の幅はあまり広くなく、収穫も下処理も大変だが、茹でたてをいただく幸福は筆舌に尽くしがたい。

シンプルに塩ゆでが美味しい。あとは蒸し焼きも美味しく、オリーブオイルで蒸し焼きにするペペロンチーノ風もよかった。

インゲンと同じく、豆類は一気に大量にできてしまうのと、枝豆は収穫したら保存は冷凍一択なので、たくさん育てると苦労することになるかもしれない。1ウネ分枝豆を育ててかなり苦労した。

6. とうもろこし(★)

夏の代名詞。若い頃に収穫するとヤングコーンとして食べられる。

屋台の焼きとうもろこし風に、砂糖+しょうゆ+みりんのタレをつけて焼くのが最高の美味しさだった。

【香ばし醤油の焼きとうもろこし】フライパンで簡単!屋台超え | LOW SALT CLUB 〜 うま味DE減塩部 | おいしく召上れ!

とうもろこしは約2ヶ月ほどで大人の背丈になる最強の成長力をもった野菜。夏季は鳥よけネットを張る必要があったりして、農家さんのサポートなしで育てるのは難しいなと思った。アリやアブラムシにたかられて駆除が大変だったこともあった。

写真のようなヒゲのついたさやから実を取り出す瞬間にとても幸せを感じられる。

7. じゃがいも(★★★)

野菜というかイモ。料理の幅は非常に広く、長期保存も利く、欠点が見当たらないほど最高の作物。

収穫したじゃがいもでトルティージャ(スペイン風オムレツ)をよく作った。トルティージャは多種多様なレシピがあり、チーズを入れたりトマトを入れたり、アレンジの幅も広く、なおかつ食卓に並べると存在感がありオシャレな感じがして、作ったときの満足度が高かった。もちろん美味しい。

www.kagome.co.jp

米原産のじゃがいもが世界を救った歴史は興味深く、ぜひとも知っておきたい。

じゃがいもは地中に埋めた種イモから芽が出て花が咲き、そして枯れてしまうころに収穫時期を迎え、地面を掘って収穫する。イモなので地面に埋まってることくらいは当然知っていたものの、ほかの野菜とは全く異なる収穫サイクルを改めて不思議に感じた。

また、梅雨前にじゃがいもを収穫した際、数センチ程度の小さなクズイモを適当に畑に投げ捨てておいてしまったのだが、夏頃にはクズイモからニョキニョキと立派な芽を生やしてきたことに驚いた。そこら中のウネで植えた野菜とは明らかに違う芽が出てることがあり、その大半がじゃがいもだった。その生命力には感動の一言。

8. 八つ頭(★)

畑の重鎮。味はサトイモに近いがサトイモより大きく、ホクホクした感じで食べごたえがある。

だしたっぷりの煮物にしてゆずを添えたら非常に上品な味わいで美味しかった。

写真のとおり地上部分は結構な大きさがあったものの、地下のイモの部分はせいぜい1kg弱しか収穫できなかった。4月に種イモを埋めて収穫したのは12月で、約8ヶ月も畑に植わっていた。他のほとんどの野菜が2〜3ヶ月で収穫時期を迎えるので、八つ頭の生育期間があまりに長いことが分かるだろう。

9. 甘とうがらし(★★★)

ししとう」とほぼ同じな辛くないとうがらし。種とわたをとらずにそのまま調理して食べることもできるし、大きく肉厚なものは種とわたをとってピーマンの代用品としても使うことができる、かなり便利な野菜。

種からではなく、農家さんが用意してくれた苗を植えた。

虫があまりつかないし水やりも不要で、管理の手がかからないのも魅力のひとつ。

揚げたり焼いたものを出汁や調味液で浸すと美味しい。シンプルにきんぴらが非常に美味しかった。

育つと3ヶ月以上にわたって絶え間なく身をつけ続け、食卓に並び続けることになる。1株しか植えていないのに毎週コンビニ袋がパンパンになる程度(30個以上?)には収穫できた。

栽培計画に従うため、ウネを空ける必要があり、9月にまだ大量に実をつけてる状態で甘とうの株を処分したが、そのときは冷凍用の処理で午前1時近くまで作業をした。甘とうは枝豆と並んで処理に苦労した野菜トップ2であった。

あと、成長してくると、たまに辛いハズレ(当たり)の甘とうがあるので注意。

10. ナス(★★)

とうと同じく、農家さんが用意してくれた苗を植えた。ナスも3ヶ月以上にわたって絶え間なく身をつけ続け、そして食卓にも並び続けた。今年一番多く食べた野菜は間違いなくナスである。

ナスは相当な種類のレシピを試した。なにせほぼ毎日食べていたのだから。以下のポストでベスト4をまとめているが、ベスト4が選べるくらいには料理しまくったし食べまくった。

油を多く使いがちなナス。ヘルシーに美味しく食べるための救世主が、蒸し焼きと塩もみの工夫だった。
以下のチンジャオロース風では、塩もみしたナスをたけのこの代用としており、油の量もかなり減らせる。*3

なお、ナスは育てるのにかなり大量の肥料を必要とする野菜で、植えたあとも肥料を追加する追肥(ついひ)が何回も必要であり、個人で育てるのは多少難易度が高いかもしれない。プランター栽培なら大丈夫かもしれないが。

11. ミニトマト(★★)

畑の花形。写真映えが非常に良い。これも苗から植えた。最大の魅力は食べる手軽さだろう。朝ごはんでも調理要らずで食べられるため、大量に穫れても消費はそこまで苦労しなかった。

ミニトマトの料理はオーブン料理が映えるし美味しい。チーズやパン粉をふりかけて焼くとジューシーで美味しかった。

トマトもミニトマトも育てるのは結構難しく、支柱を立てて茎を縛り付けて、上へ上へと伸ばしてやらないといけない。序盤に上へ伸ばす努力を怠った結果、茎から根が出てしまい*4、藪のように荒れ放題になってしまい、リカバリーに相当な手間を要した。毎週鬱蒼となるほど枝葉が出てくるので、手入れの手間はかなりかかる野菜だった。

12.トマト(★★★)

真っ赤なトマトは畑のヒロインであり、太陽の恵み。これほど収穫した瞬間に笑顔になれる野菜はないだろう。これも苗から植えた。

トマトはどんな調理をしても美味しいが、シンプルに焼いていただくとジューシーでうま味が凝縮されて夏を感じられ、記憶に残る味だった。

トマトも育てる手間が相当かかった。毎週畑で1時間近くトマトの収穫と剪定に時間を費やしていた。今年は異常に暑かったせいなのかカメムシが多く、収穫期の後半になるとカメムシ食われてしまい、やるせなさと悲しみに暮れた。

13. キュウリ(-)

夏野菜といえばキュウリ。これも苗から植えた。

夏季は頻繁に冷やし中華を作ったのと、ピクルスを作って消費した。ピクルスは至高。

しかし調理法が多くはなく、先述のとおり加熱した味が意外と飽きやすいので、消費するのに困った。

あと、成長スピードが凄まじく、実が成ってないところから1週間で写真のような巨大なサイズになってしまうので、週に1度の畑仕事ではとても育てられる野菜ではなかった。

14. ねぎ(★★)

これも万能の野菜。いろんな料理に使えるので消費に困ることもなかった。ねぎも苗から植えた。夏も秋も2シーズン育てた唯一の野菜。

料理は鶏もも肉と甘とうを使って焼き鳥風にするのが好きで、我が家の定番レシピになっている。

ネギを育てるのは手間がかかる。苗は農家さんが用意してくれたが、苗を育てるのも大変なようだ。苗からの工程もかなり多く、寝床にわらを入れたり、堆肥や油かすを加えたり、上の写真のようにネギに土をかぶせる「土寄せ」を極端なくらいしたりと、世話が欠かせない。プランター栽培が土台無理なので個人で育てるのはかなりハードルが高い。

タキイのネギ栽培マニュアル | 野菜栽培マニュアル | 調べる | タキイ種苗株式会社

15. モロヘイヤ(-)

謎の草。この写真ではわからないが、葉っぱの付け根部分にヒゲのようなものがついているのが特徴的な野菜。自分では育てておらず、収穫だけさせてもらった。

この写真の量だけしか頂かなかったので、全部茹でて刻んで食べた。ネバネバかつシャキシャキの不思議な食感で美味しかった。

16.  キャベツ(★★★)

生だとシャキシャキ、火を入れると甘くなる万能野菜。苗を10株植えたが、食べ切れそうなくらい便利で利用の幅が広い。

いろんな料理が作れるが、お好み焼きがキャベツ料理の変化球として最強だと思っている。シンプルな「キャベツ焼き」もじゅうぶん美味しく、ほどよくジャンキーなので土日のお昼ごはんに最適。

ふつう、葉物野菜は虫が大量についているし農薬もかかっているので、葉を1枚1枚しっかりと洗浄する必要がある。しかしキャベツは例外で、葉っぱが内側から成長してくるので、一定部位より内側は洗わずとも完全にきれいな状態で食べることができる。

白菜などは本当に虫のコロニーと化すほど虫だらけなので、キャベツはあまりのきれいさに感動するくらいだ。

17.(青首)大根(★★★)

根菜の王。上部・中部・下部で食味が変わるので、それぞれ生・焼き・煮物と使い道をいろいろ変えられるのも楽しい。大根おろしの薬味としての能力も高く、もちろん生でも美味しくてピクルスもうまい。

1ウネ分植えたので30本近い収穫が上がったが、なんとか食べ切れそうなくらい使い道が広い。とくに若い頃は葉っぱも美味しく、葉物野菜としてのポテンシャルも高い。

料理は幅広く試した。1つめのお気に入りは「ガーリック大根ステーキ」で、レンチンして少し水分を出してから焼くと非常にジューシーに仕上がって相当美味しい。

2つめは「麻婆大根」。ダイスカットしてレンチンして水分を出し、あとは麻婆豆腐のレシピとほぼ同じで豆腐のかわりに大根を使う。晩ごはんのおかずとして最高でリピートしたい美味しさ。*5

大根は種をまいておけばほとんど勝手に大きくなってくれるので、農薬は撒いたが、それ以外はほとんど手がかからなかった。個人で畑をやるならまず育てたい作物だ。大きくなりすぎると運搬が大変になるのがたまにキズ。

18. 聖護院大根(★)

「おおきなかぶ」という表現がぴったりの大根。身は青首大根よりもしっかりしているので、煮物向きの大根。

煮物向きなのでごはんのおかずになりづらいが、牛丼風の味付けで甘辛煮をしたら味がしみて大変おいしかった。

だしで煮ると上品な味わいに仕上がるものの、ごはんとの相性はなんとも言えない感じのレシピが多いので、食卓のメニュー構築が難しい食材であった。

19. チンゲンサイ(★)

中華料理の食材。肉厚で食べごたえがある葉物野菜。基本的に中華料理のレシピに合わせるが、メインディッシュとして使おうとすると意外と使い道に困ってしまっている。

現状、鶏ガラスープのもとを使って適当にスープを使って消費している。

なお、大きくなると硬くなってしまってあまり美味しくないので、刻んで食べるなどの工夫が必要。写真の手のひらサイズだとすでにややでかすぎる。

20. 春菊(★★)

風味というか苦味が強い、大人の味の野菜。鍋の具材というイメージが強いかもしれないが、サラダで食べてもおひたしにしても美味しい。

適当に茹でた後、ツナとごま油と合わせると、いい酒のつまみになる。

試したレシピの中では以下のサラダが見た目もオシャレで美味しかった。

春菊も例によって成長力が強く、植えて3ヶ月もすると茎の部分は太くて食べられなくなる。脇芽を取るように収穫していくと何度か収穫でき、長く楽しめた。

あと、苦いからか虫が付きづらいので個人でも育てやすい。*6

21. 小松菜(★)

食卓の名脇役主張がない野菜なので、何にでも合う。一方でこれをメインディッシュにレシピを考えるのは難しい。

それでも、煮物でも汁物でも炒め物でも、シャキシャキした食感を取り入れたいときに適当に料理に追加できるのは魅力。

やはり葉物野菜なので若い頃のほうが美味しい。写真の小松菜はすでに若干育ちすぎの域に突入している。

育てるのはとくに工夫はいらないので個人でも育てやすい。

22. かぶ(★★★)

身がやわらかくて甘い根菜。やわらかいので大根よりも調理時間が短く済むのが魅力の1つだと思っている。また、大根同様、葉っぱも小松菜くらいのポテンシャルがある野菜で、クセがなくどんな調理にも合わせられる。

かぶも調理の幅が広い。煮ても焼いても汁物でも漬物でもうまい。個人的にはさっと蒸し焼きにするとジューシーで美味しくてお気に入り。粒マスタードと相性が良い。

かぶは写真のように、根っこの丸くて大きな部分は地中ではなく地上に露出して育つ。これもあまり手のかからない野菜で、栽培は楽。

23. ほうれん草(★★)

緑黄色野菜の緑の代表格。栄養価が高い。たんぽぽのように立派で長い根を張るので引っこ抜く難易度が高い。

ほかの青菜とは一線を画した食味があり、葉も適度な厚みがあり食べごたえがあって美味しい。さっと茹でても、くたくたになるまで茹でてもよい。

青菜はまずは茹でてからいろいろな調理に使う。茹でるときに塩とオリーブオイルを入れて1カップほどの水で蒸すようにゆでると、色も食味も良くなる。

試したレシピの中ではほうれん草グラタンが何より美味しかった。

なお、ほうれん草を食べていると舌がかゆく若干しびれる感覚になることがある。これはほうれん草のアク(シュウ酸)から来ているものらしく、ゆでた後に思い切り水分を絞るとアクが抜けるので改善される。木べらでざるに押し付ける程度では不十分で、手で絞ったほうがよい。

24. 白菜(★)

大きすぎて写真に収まりきらない。あまりにも巨大な野菜。こんなにも大きいのに、種はゴマ粒くらいのサイズしかない。種から育てたので成長過程を目の当たりにしたが、やや信じられないほど。

葉物野菜の中ではダントツの水分量を誇るので、野菜の水分を活かした蒸し鍋系の料理などが美味しい。

白菜は本当に大きく、1玉で3kg近くの重さになる。1玉は2人で食べきるのは2週間はかかる。スーパーでは1/4サイズで売るのが主流になってきているのが本当にありがたい。

単純に汁物でも美味しいが、チーズをかけて蒸し焼きにしたレシピが美味しかった。

なお、白菜は育てた野菜の中で最も虫がついてしまった野菜だった。農薬もある程度は散布していたのだが・・・。大きくなるとキャベツのように結球するが、それまでは虫が上部から入り放題だからなのか、収穫して葉をちぎっていくっと、永遠に虫が出続けてきて若干気が滅入った。
スーパーや八百屋で白菜を買ったら、とくに外側の緑色の部分は、農薬を落とすのと虫を落とすのと2つの意味で1枚ずつ葉をよく洗うとよい。

25. 山東菜(さんとうさい)(★)

白菜の近縁種で、白菜に負けじと巨大な冬の葉物野菜。これも3kg近くまで成長する。

白菜より柔らかくて汁物や漬物にすると美味しい。個人的には白菜よりも味は好き。適当に刻んで中華スープかコンソメスープに入れるとよい汁物になる。

なお、写真を見てわかるように、山東菜は結球せず上部が開いており、虫が常時入り放題となっている。白菜以上に葉が虫だらけだったので、食べる際には泣きながら徹底的に洗浄した。

26. ブロッコリー(★)

蕾の集合体を食べる、変わり物の野菜。写真に収まらないほど葉が大きく、全長1mくらいありそうだが、中央の花蕾(頂花蕾)を収穫すると手のひらサイズになってしまう。すごく図体は大きいのに収穫量が少なくてさみしい。

ブロッコリーはシチューに入れるのが好き。あとは焼くのも美味しく、グラタンに入れても好き。

葉は青虫に食われることが多く、かなり農薬を撒いたが、結局人間は葉の部分を食べないので、あまり意味がないのかも…と思うなどした。

27. スティックセニョール(★★)

ブロッコリーとは思えないほど茎がやわらかく、アスパラのような食感の野菜。中央の花蕾(頂花蕾)ではなく、脇芽にできる花蕾(側花蕾)をメインに食べる。

外見はふつうのブロッコリーとほとんど区別がつかない。通常のブロッコリーは包丁や鎌などの大きな刃物がないと収穫が難しい一方で、スティックセニョールはキッチンバサミだけでも簡単に切ることができる。

基本的にアスパラだと思って調理して問題ない。花蕾の部分がよく味を吸うので、白だしとの相性が非常によく、美味しかった。

ブロッコリーとスティックセニョールを並べて植えたら外見の差がほとんど無いのに収穫方法が異なるので困った。ブロッコリーは頂花蕾を手のひらサイズまで育ててから収穫するが、スティックセニョールはもっと小さいときに頂花蕾を取ってしまい、たくさん生えてくる側花蕾を食べる。

28. 落花生(-)

花が咲き終えると、なんと地中に伸びて地中で実をつける。異次元の防御方法を生み出した豆。共用スペースで育てられていたものをおすそ分けいただいた。

生落花生はすべて塩ゆでして食べた。少しねっとりした食味で美味しかった。甘納豆のような雰囲気がある味わい。

ゆでると生ものになるので早急に食べる必要がある。翌日まで残しておいたものは悪くしてしまった・・・

29. さつまいも(-)

農業体験の定番といえば「芋掘り」なのではないだろうか。私の通う農園でも結構な広さにさつまいもを植えてあり、利用者みんなで芋掘りをした。

さつまいもはみそ汁やシチューが美味しい。

さつまいもはある程度広さが必要だし、重機がないととても収穫できない。芋掘りはシャベルで掘り返せるが、掘る前に地上部分の植物(つると葉)を全部切り倒して整理しておく作業をしないと、さながら宝探しゲームのようにどこにイモがあるのか分からないし、掘るのも大変になる。

 

*1:料理雑誌のレシピは美味しいものが多い印象。私はオレンジページがお気に入りです

*2:本当はこれに加えてカリフラワーがあったのだが、植えたはずの苗がどこかに行ってしまって行方不明になり、栽培できなかった

*3:普通にナスを炒めると2人前で大さじ3杯くらいの油が必要だが、塩もみすると通常の炒め油と同じ位(大さじ1程度)になる

*4:気根というのが出てくる。茎が地上に接してる所からも根が出まくるので、イバラのようなビジュアルになる

*5:自分は雑誌のレシピを使ってるのでここに載せたものとは違う作り方をしています

*6:今年の秋は異常に暑く、普通にアブラムシなどがついていた・・・

エンジニアをやめたあとの話:企画職で得られたこと

この記事はdwango アドベントカレンダー 24日目の記事です。メリークリスマス🎅

23日目は kadoyau さんの 社内発表で『AIによる画像生成勉強会』を開催しました! - dwango on GitHub という記事でした。こちらもぜひ。


2021年9月、私はこのblogで「30歳目前でエンジニアをやめた話」という記事を書きました。
この記事ではあれからどうなったのか?の話を書きます。

TL;DR(長いので3行で)

  • 企画職(開発ディレクター)を2021年6月から2022年7月まで1年と2ヶ月間務めた。現在は別部署で再びエンジニア職として働いている
  • 多くの経験を得て、企画職、とくに開発ディレクターのロールを一定のレベルでできるようになった
  • 開発職に戻ったのは良いチャンスが巡ってきたから。今後は自分の領域を固定せず境目のない働き方をしていきたい

企画職でやったこと・得たこと

エンジニアをやめたあとの私は、「とにかく新しくチャレンジをしなければ!」と気負い立っていました。 そのため、主務以外にも手を伸ばしてさまざまな業務に携わってきました。 行った主な業務を列挙しながら、何に苦労して何を得たのか書いてみます。

1: 開発ディレクター

開発ディレクターは開発のディレクション業務を主に行うロールです。 あまり耳馴染みの無い方も多いかもしれません。

私の行っていた業務のフローをかんたんにまとめると以下のようになります:*1

  • 課題決定
    • DAUや動画投稿者数などのKPIを見たり、ユーザーの声を聴いたりしながら、今後のロードマップと照らし合わせて今やるべきことを決める
  • 企画立案
    • 問題を解決するためにどんな機能を作るべきか考えて決める(このとき、何を達成したら成功なのかを決める。つまりKGI, KPIを決める)
  • プレゼン
    • いろいろな人の意見を取り入れながら企画をブラッシュアップし、決裁者にOKをもらう
  • 作業計画
    • 必要な作業を洗い出し、エンジニアの稼働工数も調べてもらい、計画を立てる
  • 制作進行
    • エンジニアやデザイナーに動いてもらう。定例会議を実施して作業進捗を管理する(この間、企画者は必要な作業や調整を行う)
  • 振り返り
    • KPIを達成できたのか効果検証し、KPT法で良かった点と反省点を洗い出す

つまり、 企画の対象がWebサービスの開発であり、エンジニアやデザイナーをとりまとめて制作進行するのが開発ディレクター です*2

私はもともと動画投稿者だった経験を活かし、動画投稿に関わる機能の企画を担当し、主に以下の案件などを企画・制作進行してリリースしました。

blog.nicovideo.jp blog.nicovideo.jp

とくにこのディレクターの業務では、ディレクターの本質である「調整」を学び、それに苦心しました。

ニコニコ動画のような老舗で大規模なWebサービスは、持っている機能も多ければ関係者も内外に多くいます。 そのため各所との利害関係の調整は欠かせません。 案件について各所に説明して周り、悪影響が出ないように内容やリリース時期などを調整する働きが求められます。 各所と調整しているうちに当初の企画案から内容が変わることも少なくありません。

企画職になって最初の頃は、自分の案がうまくいかなかったり、ほかの人の意見によって企画の内容が変わってくることに抵抗を感じていました。 しかし、いくつかのタイプの案件をこなすことで、企画として本当にやりたいことの芯だけは残して、あとは状況に応じて柔軟に変えていくしなやかさや、企画の実現のためにあらゆる手段を講じるしたたかさがディレクターには必要なのだなと学びました。

2: 別プロジェクトでの企画とマネジメント

少々説明が難しいのですが、「ある設定された課題についてチームで議論し、課題解決のため社内向けの企画を立てて実施する」というプロジェクトが社内公募でメンバーを募集しており、 私はそこに参加してチームリーダーを担うことになりました。

このプロジェクトでは半年以上時間をかけてじっくりと課題発見から企画立案を行いました。 現在は社内向けの企画を実施・運営しています。

とくにこの業務では、異なる立場の方々の意見を聞いて議論を進めていくファシリテーションの実践の場として機能しました。 エンジニアの業務では会議の参加者の発言を促して議論を取りまとめるような役割を担うことは稀だったので、なかなか得がたいスキルを鍛えられたと考えています。

加えて、企画実施にあたり社内調整のために 普段は接点がない部署・職位の方ともやり取りすることがあり、 誰に対しても物怖じせず物事を説明するふるまいを身につける訓練にもなりました。

3. メンター

開発ディレクターの部署には新卒の新入社員の方がおり、ある時その方のメンターが退職されたので、代わりに私がメンター役をやらせていただきました。*3

私は新卒でエンジニアとして働き始めた身なので、 企画職として社会人生活をスタートした方とは 育ってきた環境が大きく異なりました。 最初は考え方や作業の仕方など、お互いにギャップがあるのを感じていましたが、 人のお話を聴くのは好きなので、楽しく役割を全うできました。

とくにこのメンター役では、自分から何かを教えるのではなく、相手の思考の整理のお手伝いをして、あくまでメンティーに考えてもらうことを意識していました。

経験のないことに取り組んでいるときは「何が分からないのか分からない」状態に陥りがちだと思います。 こうした時に一方的に解決方法をお伝えしてしまうのではなく、「今何が分からないのか」をメンティーと一緒に言語化して整理し、その言語化した課題に対してひとつひとつ取り組んでいくよう心がけました。

私がメンター役であったのは半年間程度でしたが、主にタスク整理や資料のまとめ方など、職種・業種問わず必要となる基本的なスキルをお伝えできたのではないかと思っています。 また、私にとっては文系で大学を卒業したばかりの等身大の新社会人と接する貴重な機会でもあり、彼らの価値観を学べたという意味でもたいへん勉強になりました*4

4. インタビュー記事の企画と作成

当時、さらに別の公募のプロジェクトにも参加しており、社員の方に仕事の内容や経歴などを深堀りしてインタビューする記事を何度か作成していました。

この業務ではインタビューの最初から最後まで、つまり誰にどんなことを聞いてどんな記事を書きたいのかを企画するところから、 実際にインタビューを実施して内容を書き起こし、 内容を取捨選択して記事にまとめて推敲して仕上げて社内でリリースするところまでを行っていました。

実際に何度かインタビュー記事をつくってみて、話を聞きに行く前の質問を作った段階でインタビュー企画の良し悪しはほとんど決定していることを身をもって理解できました。 やはり「企画が良くないといいモノはつくれない」という命題はかなりの場面において正しいのだなあと思わされます。

とくにこの業務では、質問を練り上げることや、記事の内容を切り捨てまくって編集すること*5、それからキャッチーなタイトルや見出しをつけることに苦労しました。

インタビュー記事のリリース時には、3行で伝わるように記事をさらに短くまとめたり、ひとことで表すタイトルをつけたりなど、記事を読んでもらえるようにキャッチーに非常に短くまとめる作業もやりました。これはインタビューに限らず企画全般に必要なことかもしれませんね。

5. 生放送制作のアシスタント

とある機会に恵まれ、生放送番組制作の現場で番組のディレクターのもとアシスタントディレクターのような業務を行う経験をしました。

生放送番組を実施するためには、視聴者に見えない部分で多くの準備が必要です。私はロケ地を押さえてロケハンに行ったり、番組に必要な小道具を買い集めたりなど、番組のクリエイティブに関わらないような雑用的な業務を行っていました。

この業務では、私自身が何か大きな働きをできたわけではないですが、普段全く関わることがない番組制作の方々と一緒にお仕事をさせていただき彼らの仕事を間近で見られたこと、それから厳しいスケジュールの中で番組準備を進めて企画を作り込むヒリヒリとしたスピード感を肌身で感じられたことは貴重な経験でした。

現在私はフルリモートワークで会議もすべてリモートですし、エンジニア職でも企画職でも自宅でPCに向き合う業務である点には変わりありません。しかし、番組制作となると、当然ですが撮影はヒトもモノもリアルに動いて動かす必要があります。 そのリアルな現場では、私の仕事の常識は必ずしも通用するわけではなく、文化の違いに大きく戸惑いました。 圧倒的スピード感のなか事態が進んでゆくのになんとかしがみつき、放送を完了できました。

正直、この業務は私には適性が無かったのか、肉体的にも精神的にも負担が大きい業務ではありました。しかし、そのコストを上回る経験と学びが得られたと思っています。

なぜエンジニア職に戻ったのか?

上述のように、企画職では主務の開発ディレクター以外でも非常に多くの経験を得ることができました。 しかし、2022年7月いっぱいで企画職から離れ、今はまたエンジニア職として働いています。

ふたたびエンジニア職になった理由は、以前から一緒に働いてみたかったお方がたまたま社内でプロジェクトメンバーを募集しており、そこのエンジニア職のポストに応募してみたら受かったからです。

その方は企画職とエンジニア職を両立し続けている稀有な方で、実は私が以前からロールモデルとして据えており、自分が企画職にキャリアチェンジした時にもこの方に憧れて自分を奮い立たせてチャレンジした節がありました。 そんな方がメンバーを募集していたので、応募しない手はないと思った私は、プロジェクトの門を叩き新たな環境に身を投じました。

エンジニア職に戻ったのは本当に偶然でしたが、他人から見たら「たった1年そこらで企画職を辞めた」ように見られてしまうと思います。 そこで、企画職を離れた理由にネガティブな点は特にないものの、企画職を続けていくにあたって感じていた「壁」を当時のツイートを引用しながら列挙してみようと思います。

スペシャリストにはなれない

以前、企画職になった時に書いた記事でエンジニアとしてスペシャリストになることの難しさや違和感について書きました。

企画職として業務に取り組み、一定のレベルで各種業務をこなせるようになりましたが、ディレクターや企画を極めることの難しさを私は身にしみて理解することになります。

エンジニアであれば、自分の技術力が高まればそれがアウトプットの質やスピードに直結するでしょう。しかし、自分が動くのではなく「人を動かす」ことが仕事のディレクターではそうもいきません。

上手に物事を進めていくには、 むしろ人をうまく動かせるようになる必要になり、そのためには例えば関係各所と仲良くして"関係値"を貯めたり、仕事を依頼する人に応じて仕事のやり方を調整して相手が動きやすいように工夫したり、仕事をすすめるうえで障害になりそうなことを察知して前もって根回しをしたりなど、そういったさまざまな「調整」の力が必要になります。

私も「調整」を意識しながら日々の業務にあたっていたものの、調整作業は幅広い対人スキルが求められ、やり方に正解もないことから、極めることの難しさを一層感じていました。

以下のツイートは日々の業務で感じていたことを端的に表している気がします。

心理的負荷

ディレクターは人を動かす仕事であり、自分の働きだけでなんとかなる仕事ではありません。 常に誰かのために動き、何かを用意しているので、開発職よりも責任やプレッシャーを感じやすいように思います。 とくにプレゼンやミーティングなど、明確な期日に合わせて資料などを用意する必要が開発職に比べて圧倒的に多く、スケジュールに追われる日々だと思います。

そのため、ディレクターは長時間労働しがちな現実があると思っています。 私も今年の初旬頃は残業時間が40時間を越えた月が入社以降はじめて発生してしまいました。

私はやや心配性な性格のためか新たなキャリアに奮起していたためか、いろいろ気にして少し過剰気味にていねいに仕事しようとしていたのが労働時間が伸びた原因だったのではないかと思っています。 うまく人にタスクを任せたり、資料作成や数値測定の効率化を図ったり、スケジューリングを工夫したりなど、時間の使い方に関して改善の余地はありましたが、 全体的に人との仕事のコミュニケーションにもっと習熟しなければならないなあと感じていました。

企画を考えることは "自傷行為" に近い

持論です。

新たに企画を考えるとき、自分の考えたアイデアを自分でダメ出しして練り上げていきます。 自分で練り上げただけでは全く不十分で、いろいろな人に見てもらってダメ出ししてもらい、企画を煮詰めていきます。 クリエイティブな作業には共通の「産みの苦しみ」の一種ではありますが、自分が考えた案が否定され(たように感じ)つづけるのはつらいものがあります。

企画のダメ出しは言わばエンジニアにおける「レビュー」と変わらない作業ではあります。 しかし、企画はわりと誰でもダメ出しできてしまう一方で、ダメ出しされた要求を上手に企画に取り込むのが難しく、 制約条件が増えていきだんだんと「あちらを立てればこちらが立たず」の状態になっていきます。大きい企画であればなおさらです。 こうした迷路のような制約条件のなかで解くべき課題を決定して企画を立てるのは相当難しいです。

現実のなかで企画を立てるにはヒト・モノ・カネの制限があり、 それをさらに限られた時間のなかで企画を作る必要があるとなると、これも相当な心理的負荷になります*6

先述の社内公募プロジェクトで企画を考える機会が多かったので企画立案にはかなり慣れることができました。 それでも、はじめて本気で企画を作ろうと向き合った時は精神的にきつく、自分で考えた案を自分できびしく練り上げる必要があることから「企画を考えるのはある種の自傷行為だなぁ」と思うに至りました。

慣れてしまえばある程度は「そんなものか」と思えるようになりますし、企画を考えるのは夢を描く過程ですので楽しい側面も大きいです。誰かに自分の企画に共感してもらえた時の嬉しさは、エンジニアの業務では味わえないそれだと思います *7

どちらにせよ、企画職の醍醐味かつ核心たる企画立案のスキルは一朝一夕で身につくものではないと思わされました。

数字で説得することの難しさ

企画職で求められるスキルの中で私に最も不足していると考えているのが、数字を使って伝えることです。 私はどちらかというと感情とか感性に訴えかけるほうが得意というかやりがちで、 数字から客観的・論理的に案を作るのが苦手でした。

とくに、何かをつくって人を動かすには人件費が発生するため、それに見合うメリット、いわば「売上」を求められます。 大きなことをやるためには、当然ではありますがそれだけの売上見込みが必要なのです。 私が開発ディレクターで実施した案件も売上見込みを出して事業的にOKが取れたので実施できたわけですが、これには相当苦労しました。 売上をつくることの難しさを重々思い知らされました。

まれにベテラン社員で売上を考えるのがうまい人も居たりしましたが、私には真似できない領域だなぁと感じており、どうやって鍛えればよいものかと悩んでいました。

今後はどうなりたいのか?

以上のように、ディレクターを続けるなかでいくつかの「壁」を感じていました。

ふたたびエンジニアに戻ってきた今、自分はディレクターの働き方がかなり好きだったのだなあと気付かされました。 エンジニアでもディレクターでもモノを作っていくことが好きなことは変わらないので、今後は職種や役割に固執せず、いろんな役割に回ってから自分の作りたいモノを作っていければと思っています。

幸いなことに今のチームではかなり自由に働かせてもらっており、エンジニア職ではありますが、プロジェクトマネジメントや仕様策定・調整など、ディレクター的な動きもさせてもらっています。プロジェクトマネジメントや仕様調整などあまりエンジニアのやりたがらない業務だと思いますので、足りなそうな役割を積極的にカバーしていきたいです。

おわりに

企画職は1年と2ヶ月で一旦離れることになりましたが、濃密な経験をすることができ、以前とは比較にならないくらい視界が広がりました。1度エンジニアをやめる決断をしたのは今考えても素晴らしい判断をしたなあと思っています。

今後は職種などの境目のない働き方をして、どこでも働ける人になりたいです。 これからの人生も興味があることにいつでも飛び込んでいける状態にしていきたいと思います。

*1:※案件によってスキップできる過程があります

*2:キャンペーンなどプロモーション寄りの企画となるとWebディレクターと呼ばれることが多い気がします。プロモを専門とした部署は別途ありました

*3:ディレクターとしては私のほうが後輩ではありましたが・・・

*4:私は情報系で大学院の修士を取っており、メンティーとはまた違った環境に身を置いていました

*5:ここで書いた記事では内容の8割くらい切り捨てていました。世の中に出ているインタビューはおそらくそれ以上にバッサリと内容を切り捨てているはずです

*6:しかも往々にして制限は後から出てくるので、うまくいくはずの企画が後から出てきた問題によって潰れてしまうこともあります。精神的ダメージは計り知れません

*7:なお、私は企画を考えるときは散歩しながら考えるのが好きで、さらにひとりで飲み屋に立ち寄って喧騒のなか酒を飲みながらアイデアを考えるのが好きです

30歳目前でエンジニアをやめた話

namaoziです。最近仕事の変化があったのでそれを書きたく、ブログを作りました。

私は2017年に今の会社に新卒で入社してから、4年と少しの間エンジニア職(プログラマ、ソフトウェアエンジニア)として働いていましたが、2021年6月より企画職(Webディレクター、開発ディレクター)として働きはじめました。
それに伴い、9月でエンジニアとしての肩書きが完全になくなりました。

私の仕事の変化は単に「キャリアチェンジ」という言葉でも片付けられる内容なのですが、多く考えがあってこうした行動に至り、既にたくさんの知見を得ることができました。自分の考えと経験の整理のために、ここに文章として吐き出すことにします。

 

 

ソフトウェアエンジニアとしての職歴

まず私のエンジニア(プログラマ、ソフトウェアエンジニア)としての職歴を整理します。

私は2017年に今の会社に新卒で入社してから4年と少しの間、エンジニア職(ソフトウェアエンジニア)として働いていました。
業務はバックエンドの開発が主で、ミドルウェアの保守運用など、インフラ寄りの業務も行っていました。

2018年11月からは幸運にもフロントエンドプロダクトの立ち上げに携わらせていただきました。未経験だったフロントエンドの分野で技術選定や全体設計に取り組むことができ、ディレクターやデザイナーと密接に協働してプロダクトを作り上げる経験をさせていただきました。

その後はバックエンド・フロントエンドを別け隔てなく開発し、バックエンドのDDD(Domain-Driven Design, ドメイン駆動設計)を土台とする設計スキルを主軸に、特にフロントエンドの経験値を積み、プロトタイピングやユーザー中心主義的なデザイン寄りのスキルも身に着けていきました。

価値観の変化

ソフトウェアエンジニアとしての仕事をするなか、2020年に自分の中で大きな変化が起きました。その変化が発生した要因は2つあります。

  1. 作り方が全く分からない機能の開発を担当してリリースした経験*1
  2. 未経験だった作詞・作曲・編曲がある程度自分が満足するレベルでできるようになった経験*2

これに大学院での研究経験が加わり、問題解決のフレームワークが自分の中で整理され、プログラミングや音楽など対象を問わず、平たく言えば「作りたいものさえ決まれば作り方は分からなくても作れるだろう」というマインドを得ることができました。このマインドはソフトウェアエンジニアに限らず、すべてのエンジニアリングにおける極意のひとつなのではないかと考えています。

この「作りたいものは作れるだろう」というマインドに至ってしまったことで、自分のなかで多くの価値観が変わっていきました。

 

キャリアへの危機感

この記事執筆時の私は28歳、今年で29歳になります。2017年に修士(工学)を取得してから社会人として4年半ほどを過ごしてきましたが、65歳まで働くとすると、あと35年ほど働かなければなりません。人生は目が眩むほど長いです。
コロナ禍の只中で世界が大きく変わってしまったように、現代は目まぐるしいスピードで変化しています。先行きの見通せない現代で生きていくには、変化に備える必要があり、そのためには、学び続けていくこと、自分自身をアップデートしていくことが何より重要になります。

ある時から、私は仕事において「30歳になる前に何らかの大きなチャレンジしなければならない」と半ば強制的に自分に枷を科していました。考え方が凝り固まってしまう前に変化する経験を積まねばならぬという思いからです。
弊社のエンジニア職、少なくとも私の部署は、世の中でも稀に見るくらいのホワイトな職場で、業務の負荷において不満を感じることはまずなかったのですが、変化の多くはない業務を続けていることへの危機感が募っていきました。

 

キャリアへの違和感

いち組織のプログラマとしては問題なく仕事できることは分かりましたが、プログラミング・ソフトウェアエンジニアリングを一生やり続けるのかという疑問をずっと抱えていました。

ソフトウェアエンジニアとしてのキャリアアップ先は、以下の3つに大別されると思います。

  1. 何らかの分野を極め尽くすスペシャリスト
  2. 周辺技術を満遍なく理解し、最適なソリューションを提供できるジェネラリスト
  3. 不確実性や人と向き合ってゆくマネージャー

私は自分の余暇でプログラミングをするような、いわゆる「趣味プロ」という活動は全く行っておらず、プログラミングは趣味ではないので必要に迫られない限り特にするつもりもありません。スペシャリストの人々はプログラミングを趣味にしているような方々が多く、息をするようにプログラミングに接している方々ばかりです。彼らに私はまるで敵わないませんし、彼らの真似事もできないな、と思ったので1つめのスペシャリストは選択肢から外れました。

2つめのジェネラリストですが、こちらは非常に抽象性が高いキャリアで、どこまで手を広げればジェネラリストたり得るかが難しいところです。私も必要になれば逐次技術を学ぶマインドはあるのですが、新しい技術を次々と試してみるような貪欲さはないため、イメージが難しいキャリアでした。近年の私自身の興味がコンピューターサイエンスから人文科学に移ろっているのも後押ししています。

であれば3つめのマネージャーは「現実的な」ステップアップ先か、と私は当初思っておりました。しかし、マネージャーというのはポストがあって初めて成立する役割です。いくらマネージャーをやってみたいと思ってみたところで、組織の都合と合致しなければ得ることができない、偶発的なキャリアです。私も当初上長とかけあい、現在の組織からフロントエンドの組織を分割し、チームとして各種課題に取り組んでいけるような体制をつくりたい、そしてそのチームのマネージャーになりたい、というような夢物語を話していましたが、実現はできませんでした。

以上3つのキャリアは私にとっては難しいことが分かってきました。であれば、エンジニア以外の道を探したほうがよいのでは?という仮説を持つに至ります。


問題設定への興味

プログラマとしての問題解決は、「仕様」もしくは「要件」というレベルで目指すべきゴールが用意されていることが多いです。
しかし、プログラマとしての問題解決に習熟していくことで、もっと仕事においても問題を設定するプロセスに関わりたいと思うようになりました。

特に、職位の無いプログラマは誰かに用意された問題を解決する存在です。
もちろん、世の中には大小さまざまな問題が大量に転がっていますから、求められる役割の仕事をこなしつつ、自主的に問題を設定してそれに取り組んでもよいのですが、個人的なマンパワーによる解決は組織としての解決にはならず、属人的解決に過ぎません。
また、そうした自主性が周囲に評価されなかったり、周囲の意識や行動を変えるまでに至らなかった場合、「裏切られた」というような失望感や怒りに変わることも少なくないでしょう。自主性に基づいて行動しても、こうした危険性があります。

 

企画職という選択肢

私は問題解決の根本に存在する、問題発見と問題設定の部分を「仕事として」取り組み、もっと修練を積みたいと思うように変化していきました。そこで、企画職という選択肢が浮かんできました。

企画はまさに「問題」を自分で設定する仕事です。現状をつぶさに観察して整理して認識し、解くべき課題を定める。
音楽制作であれば「どんな曲を作るのか」「この人が歌うべき歌とは何なのか」といった楽曲制作の方針を考える部分であり、研究であれば「何の研究をするのか」「この分野で今深める課題とは何なのか」といったテーマ設定の部分になります。どちらも私は非常に苦手なプロセスであるにもかかわらず、ものづくりで最も重要といっても過言ではないプロセスです。

この領域に「仕事として」取り組むことができる企画職が次第に魅力的に映ってきました。

人と関わる・人を動かす経験

今までの経験で自分の手がある程度動かせることは分かったのですが、同時に自分ひとりでできる物事の範囲というのも分かってきました。
より多様な問題に取り組むためには、多くの人と関わって協働する必要があります。
そのために、より人と関わり人を動かす仕事をして経験を積みたいと思うようになりました。


キャリアを捨てる経験

「キャリアへの違和感」にも繋がる話です。人生この先あと30年は働いていかなければいけない現実を考え、プログラマ以外として生きる選択肢も作りたいと思うようになりました。
プログラマの経験は今年で5年目を迎え、仕事にも完全に慣れ切ったのはいいものの、徐々に「自分のできることでしか働いていない」と感じるようになりました。

私はここまでプログラマの経験を書いてきましたが、新卒入社当時はWebプログラミング経験が浅く、データベースも触ったことがないし、gitの使い方さえおぼつかない程度のスキルしか持ち合わせておりませんでした。それゆえある意味プログラマは「自分のできないことで働く」経験だったのです。

学びや挑戦が少ないと思うようになってしまった今、自分の環境を変え、今までの自分の能力が通用しないところでチャレンジし、「自分のできないことで働く」経験をまたしたいと思うようになりました。

 

収入を下げる経験

企業で会社員として働いていれば、基本的に収入は経験年数や年齢に応じて上がる方向に推移していきます。

収入が増えていくと、金銭的な自由は増えていく一方で、同レベルの収入を得る職を探すことは難しくなってゆき、逆説的に職探しで不自由することになってしまいます。
一度上げた生活レベルを下げることも人間なかなか難しくなってきます。私は独身ですが、守るべき家庭を持っている方などは特にそうでしょう。
生活レベルは変わらなくとも、年収が自身のステータス、果てはアイデンティティの一部となってしまうと、収入を下げる方向に動くことは自身のプライドが許さず、なおさら難しくなってしまいます。

 

このような事情を踏まえ、生活が柔軟に変化できる今のうちに、一度は収入を下げつつ新たな学びができる職に就くことが現実的な選択肢となってきたのでした。


企画職になってから

以上のような思惑があり、2021年6月から企画職(Webディレクター、開発ディレクター)として働いています。

色々大仰に書きましたが、実際のところは同じ会社で働いており、隣の部署に異動したにすぎません。なので今までの経験は活かすことができつつも、問題設定や制作進行を学びながら仕事にできることになりました。

ここからは企画職に変わってからの学びを書いていきます。

 

(Web)ディレクター職の本質

(Web)ディレクターのお仕事で重要かつ本質的なのが「調整」という作業です。「調整」は人が関わると必ず発生します。プログラマ風にクライアント/サーバーで例えてみます。

こちらが何らかのリクエストを投げると、相手は立場や考え方に応じてレスポンスを返してくれます。しかし、相手は「人間」なので、レスポンスを返す仕様は決まっておらず、人によってレスポンスは千差万別です。
そこで、望ましい結果が得られるように、レスポンスを想像しながらリクエストを投げるよう「リバースエンジニアリング」をしていくことが「調整」であると思っています。

ただし、このリクエストに誠意がないとかえって悪い「調整」になってしまいます。「調整」のプロセスをチューニングしていく際は、冷静に落ち着いて行動することが重要です。

 

企画の作り方

解くべき課題を見つけ出すためには、いろいろと「考える」必要があります。この「考える」という行為は、発散と収束のフェーズを繰り返しながら、その実9割くらいがひたすら手を動かして調べる行為であると思います。

まずはとにかく手当り次第に関連事象を思いうかべ、次に個々の手がかりを深堀りをしてゆく。この過程で課題が置かれている背景を徐々に鮮明にしていきます。これが企画を考える基礎的な手法である、と今の自分は理解しています。

企画についての経験は非常に浅いので、これから時間をかけて取り組んでいくつもりです。

 

キャリアは自分で作るしかない

キャリアは誰かに用意してもらうものではありません。
なぜなら、個人が組織を動かすことは非常に難しいからです。
自分が思うキャリアを得るには、組織が動くことを期待するのではなく、自分から行動するほかありません。

私は異動に至るまでに上長といろいろ相談しましたが、今思えば私は組織から与えられるのを求めすぎていました。自戒の念を込めてこの項を書きました。


 共感の限界

「共感」は多様性と共存する現代で最も大事なスキルの1つです。相手の立場に立って考えること、相手がそのモノを作った背景や感情を想像し、なるべく相手の身になって理解しようとする「共感的理解」は、物事を理解しようとするうえで非常に役立ちます。

しかし、どれだけ共感しようと思っても「分かったつもりになっているだけ」であるという共感の限界を知っておくべきです。
異なる立場の人の境遇は、結局のところ、その立場に実際に身を置かないと理解することはできません。
自分と相手とを隔てる壁はなんなのか。自分が思う壁と相手が思う壁はおそらく一致しないでしょうし、その壁の高さや厚さも互いの認識で異なるはずです。

私はエンジニア職から企画職に移ることで、お互いがお互いをどう思っていたのかをある程度深く知れるようになり、上記のような知見を得るに至りました。

共感には確かに限界がありますが、それでも相手の立場にたって考えることの重要性は揺るぎません。相手の価値観を尊重しながらお互いの認識をすり合わせていくことが肝要です。

 

給与への価値観

少々センシティブな話ですが、学びが大きかった部分なので書いていきます。

給与額は、歩合制でない限り、自身の成果やスキルが与える影響はあまり大きくありません。
むしろ、「給与が高い」という事象の直接的原因は、長年会社に務めていることによる制度的な影響や、人材市場で価値が高いことの影響など、環境の要因が大きいと考えるべきでしょう。

私はこの職種変更で年収が3桁万円くらい下がりました。もちろん企画職としての私は完全なる未経験者ですので、能力給として当然の変化だと思いますし、不自由なく生活できる分はいただいておりますので、未経験者に対しては破格の待遇をしていただいていると思います。
しかし、給与額の変化によって自身の視点が変わったことは言うまでもないでしょう。

特に年収というのは社会的階級にも直結しており、社会的生物である人間のスティグマともなり得るものです。上述の共感の限界で、年収差が相手を隔てる壁となってしまう場合もあるでしょう。

プログラマは市場価値が高く評価されており、給与額も高いです。これを「自身がプログラムを書ける能力があるから」待遇が良いのだと考えてもよいのですが、私はそう考えなくなりました。特に給与額を自己肯定感や自己能力と直接結びつけている場合、鼻持ちならぬ人と見られるようになってしまうのだと考えます。


おわりに

しばらく悶々と考えていたことを吐き出せたのでとても清々しい気持ちです。
私の肩書としてはエンジニアではなくなってしまいましたが、自分自身のエンジニアリングにまつわるスキルが無くなったとは微塵も思っていません。特に、プログラミングにおけるモデリングの感性やスキルは万物に応用可能であり、抽象性が高い事項を整理する際にエンジニアスキルが大いに役立ちます。タイトルで「エンジニアをやめた」とは書きましたが、今後エンジニア職に立ち返る時が来るかもしれません。

いままでのエンジニア職の経験も、いまの企画職の経験も、必ずこれからの人生の糧にしたいと思っています。

 

緊急事態宣言が明けたら、またいろんな人に会いに行きたいです。