namaozi’s blog

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30歳目前でエンジニアをやめた話

namaoziです。最近仕事の変化があったのでそれを書きたく、ブログを作りました。

私は2017年に今の会社に新卒で入社してから、4年と少しの間エンジニア職(プログラマ、ソフトウェアエンジニア)として働いていましたが、2021年6月より企画職(Webディレクター、開発ディレクター)として働きはじめました。
それに伴い、9月でエンジニアとしての肩書きが完全になくなりました。

私の仕事の変化は単に「キャリアチェンジ」という言葉でも片付けられる内容なのですが、多く考えがあってこうした行動に至り、既にたくさんの知見を得ることができました。自分の考えと経験の整理のために、ここに文章として吐き出すことにします。

 

 

ソフトウェアエンジニアとしての職歴

まず私のエンジニア(プログラマ、ソフトウェアエンジニア)としての職歴を整理します。

私は2017年に今の会社に新卒で入社してから4年と少しの間、エンジニア職(ソフトウェアエンジニア)として働いていました。
業務はバックエンドの開発が主で、ミドルウェアの保守運用など、インフラ寄りの業務も行っていました。

2018年11月からは幸運にもフロントエンドプロダクトの立ち上げに携わらせていただきました。未経験だったフロントエンドの分野で技術選定や全体設計に取り組むことができ、ディレクターやデザイナーと密接に協働してプロダクトを作り上げる経験をさせていただきました。

その後はバックエンド・フロントエンドを別け隔てなく開発し、バックエンドのDDD(Domain-Driven Design, ドメイン駆動設計)を土台とする設計スキルを主軸に、特にフロントエンドの経験値を積み、プロトタイピングやユーザー中心主義的なデザイン寄りのスキルも身に着けていきました。

価値観の変化

ソフトウェアエンジニアとしての仕事をするなか、2020年に自分の中で大きな変化が起きました。その変化が発生した要因は2つあります。

  1. 作り方が全く分からない機能の開発を担当してリリースした経験*1
  2. 未経験だった作詞・作曲・編曲がある程度自分が満足するレベルでできるようになった経験*2

これに大学院での研究経験が加わり、問題解決のフレームワークが自分の中で整理され、プログラミングや音楽など対象を問わず、平たく言えば「作りたいものさえ決まれば作り方は分からなくても作れるだろう」というマインドを得ることができました。このマインドはソフトウェアエンジニアに限らず、すべてのエンジニアリングにおける極意のひとつなのではないかと考えています。

この「作りたいものは作れるだろう」というマインドに至ってしまったことで、自分のなかで多くの価値観が変わっていきました。

 

キャリアへの危機感

この記事執筆時の私は28歳、今年で29歳になります。2017年に修士(工学)を取得してから社会人として4年半ほどを過ごしてきましたが、65歳まで働くとすると、あと35年ほど働かなければなりません。人生は目が眩むほど長いです。
コロナ禍の只中で世界が大きく変わってしまったように、現代は目まぐるしいスピードで変化しています。先行きの見通せない現代で生きていくには、変化に備える必要があり、そのためには、学び続けていくこと、自分自身をアップデートしていくことが何より重要になります。

ある時から、私は仕事において「30歳になる前に何らかの大きなチャレンジしなければならない」と半ば強制的に自分に枷を科していました。考え方が凝り固まってしまう前に変化する経験を積まねばならぬという思いからです。
弊社のエンジニア職、少なくとも私の部署は、世の中でも稀に見るくらいのホワイトな職場で、業務の負荷において不満を感じることはまずなかったのですが、変化の多くはない業務を続けていることへの危機感が募っていきました。

 

キャリアへの違和感

いち組織のプログラマとしては問題なく仕事できることは分かりましたが、プログラミング・ソフトウェアエンジニアリングを一生やり続けるのかという疑問をずっと抱えていました。

ソフトウェアエンジニアとしてのキャリアアップ先は、以下の3つに大別されると思います。

  1. 何らかの分野を極め尽くすスペシャリスト
  2. 周辺技術を満遍なく理解し、最適なソリューションを提供できるジェネラリスト
  3. 不確実性や人と向き合ってゆくマネージャー

私は自分の余暇でプログラミングをするような、いわゆる「趣味プロ」という活動は全く行っておらず、プログラミングは趣味ではないので必要に迫られない限り特にするつもりもありません。スペシャリストの人々はプログラミングを趣味にしているような方々が多く、息をするようにプログラミングに接している方々ばかりです。彼らに私はまるで敵わないませんし、彼らの真似事もできないな、と思ったので1つめのスペシャリストは選択肢から外れました。

2つめのジェネラリストですが、こちらは非常に抽象性が高いキャリアで、どこまで手を広げればジェネラリストたり得るかが難しいところです。私も必要になれば逐次技術を学ぶマインドはあるのですが、新しい技術を次々と試してみるような貪欲さはないため、イメージが難しいキャリアでした。近年の私自身の興味がコンピューターサイエンスから人文科学に移ろっているのも後押ししています。

であれば3つめのマネージャーは「現実的な」ステップアップ先か、と私は当初思っておりました。しかし、マネージャーというのはポストがあって初めて成立する役割です。いくらマネージャーをやってみたいと思ってみたところで、組織の都合と合致しなければ得ることができない、偶発的なキャリアです。私も当初上長とかけあい、現在の組織からフロントエンドの組織を分割し、チームとして各種課題に取り組んでいけるような体制をつくりたい、そしてそのチームのマネージャーになりたい、というような夢物語を話していましたが、実現はできませんでした。

以上3つのキャリアは私にとっては難しいことが分かってきました。であれば、エンジニア以外の道を探したほうがよいのでは?という仮説を持つに至ります。


問題設定への興味

プログラマとしての問題解決は、「仕様」もしくは「要件」というレベルで目指すべきゴールが用意されていることが多いです。
しかし、プログラマとしての問題解決に習熟していくことで、もっと仕事においても問題を設定するプロセスに関わりたいと思うようになりました。

特に、職位の無いプログラマは誰かに用意された問題を解決する存在です。
もちろん、世の中には大小さまざまな問題が大量に転がっていますから、求められる役割の仕事をこなしつつ、自主的に問題を設定してそれに取り組んでもよいのですが、個人的なマンパワーによる解決は組織としての解決にはならず、属人的解決に過ぎません。
また、そうした自主性が周囲に評価されなかったり、周囲の意識や行動を変えるまでに至らなかった場合、「裏切られた」というような失望感や怒りに変わることも少なくないでしょう。自主性に基づいて行動しても、こうした危険性があります。

 

企画職という選択肢

私は問題解決の根本に存在する、問題発見と問題設定の部分を「仕事として」取り組み、もっと修練を積みたいと思うように変化していきました。そこで、企画職という選択肢が浮かんできました。

企画はまさに「問題」を自分で設定する仕事です。現状をつぶさに観察して整理して認識し、解くべき課題を定める。
音楽制作であれば「どんな曲を作るのか」「この人が歌うべき歌とは何なのか」といった楽曲制作の方針を考える部分であり、研究であれば「何の研究をするのか」「この分野で今深める課題とは何なのか」といったテーマ設定の部分になります。どちらも私は非常に苦手なプロセスであるにもかかわらず、ものづくりで最も重要といっても過言ではないプロセスです。

この領域に「仕事として」取り組むことができる企画職が次第に魅力的に映ってきました。

人と関わる・人を動かす経験

今までの経験で自分の手がある程度動かせることは分かったのですが、同時に自分ひとりでできる物事の範囲というのも分かってきました。
より多様な問題に取り組むためには、多くの人と関わって協働する必要があります。
そのために、より人と関わり人を動かす仕事をして経験を積みたいと思うようになりました。


キャリアを捨てる経験

「キャリアへの違和感」にも繋がる話です。人生この先あと30年は働いていかなければいけない現実を考え、プログラマ以外として生きる選択肢も作りたいと思うようになりました。
プログラマの経験は今年で5年目を迎え、仕事にも完全に慣れ切ったのはいいものの、徐々に「自分のできることでしか働いていない」と感じるようになりました。

私はここまでプログラマの経験を書いてきましたが、新卒入社当時はWebプログラミング経験が浅く、データベースも触ったことがないし、gitの使い方さえおぼつかない程度のスキルしか持ち合わせておりませんでした。それゆえある意味プログラマは「自分のできないことで働く」経験だったのです。

学びや挑戦が少ないと思うようになってしまった今、自分の環境を変え、今までの自分の能力が通用しないところでチャレンジし、「自分のできないことで働く」経験をまたしたいと思うようになりました。

 

収入を下げる経験

企業で会社員として働いていれば、基本的に収入は経験年数や年齢に応じて上がる方向に推移していきます。

収入が増えていくと、金銭的な自由は増えていく一方で、同レベルの収入を得る職を探すことは難しくなってゆき、逆説的に職探しで不自由することになってしまいます。
一度上げた生活レベルを下げることも人間なかなか難しくなってきます。私は独身ですが、守るべき家庭を持っている方などは特にそうでしょう。
生活レベルは変わらなくとも、年収が自身のステータス、果てはアイデンティティの一部となってしまうと、収入を下げる方向に動くことは自身のプライドが許さず、なおさら難しくなってしまいます。

 

このような事情を踏まえ、生活が柔軟に変化できる今のうちに、一度は収入を下げつつ新たな学びができる職に就くことが現実的な選択肢となってきたのでした。


企画職になってから

以上のような思惑があり、2021年6月から企画職(Webディレクター、開発ディレクター)として働いています。

色々大仰に書きましたが、実際のところは同じ会社で働いており、隣の部署に異動したにすぎません。なので今までの経験は活かすことができつつも、問題設定や制作進行を学びながら仕事にできることになりました。

ここからは企画職に変わってからの学びを書いていきます。

 

(Web)ディレクター職の本質

(Web)ディレクターのお仕事で重要かつ本質的なのが「調整」という作業です。「調整」は人が関わると必ず発生します。プログラマ風にクライアント/サーバーで例えてみます。

こちらが何らかのリクエストを投げると、相手は立場や考え方に応じてレスポンスを返してくれます。しかし、相手は「人間」なので、レスポンスを返す仕様は決まっておらず、人によってレスポンスは千差万別です。
そこで、望ましい結果が得られるように、レスポンスを想像しながらリクエストを投げるよう「リバースエンジニアリング」をしていくことが「調整」であると思っています。

ただし、このリクエストに誠意がないとかえって悪い「調整」になってしまいます。「調整」のプロセスをチューニングしていく際は、冷静に落ち着いて行動することが重要です。

 

企画の作り方

解くべき課題を見つけ出すためには、いろいろと「考える」必要があります。この「考える」という行為は、発散と収束のフェーズを繰り返しながら、その実9割くらいがひたすら手を動かして調べる行為であると思います。

まずはとにかく手当り次第に関連事象を思いうかべ、次に個々の手がかりを深堀りをしてゆく。この過程で課題が置かれている背景を徐々に鮮明にしていきます。これが企画を考える基礎的な手法である、と今の自分は理解しています。

企画についての経験は非常に浅いので、これから時間をかけて取り組んでいくつもりです。

 

キャリアは自分で作るしかない

キャリアは誰かに用意してもらうものではありません。
なぜなら、個人が組織を動かすことは非常に難しいからです。
自分が思うキャリアを得るには、組織が動くことを期待するのではなく、自分から行動するほかありません。

私は異動に至るまでに上長といろいろ相談しましたが、今思えば私は組織から与えられるのを求めすぎていました。自戒の念を込めてこの項を書きました。


 共感の限界

「共感」は多様性と共存する現代で最も大事なスキルの1つです。相手の立場に立って考えること、相手がそのモノを作った背景や感情を想像し、なるべく相手の身になって理解しようとする「共感的理解」は、物事を理解しようとするうえで非常に役立ちます。

しかし、どれだけ共感しようと思っても「分かったつもりになっているだけ」であるという共感の限界を知っておくべきです。
異なる立場の人の境遇は、結局のところ、その立場に実際に身を置かないと理解することはできません。
自分と相手とを隔てる壁はなんなのか。自分が思う壁と相手が思う壁はおそらく一致しないでしょうし、その壁の高さや厚さも互いの認識で異なるはずです。

私はエンジニア職から企画職に移ることで、お互いがお互いをどう思っていたのかをある程度深く知れるようになり、上記のような知見を得るに至りました。

共感には確かに限界がありますが、それでも相手の立場にたって考えることの重要性は揺るぎません。相手の価値観を尊重しながらお互いの認識をすり合わせていくことが肝要です。

 

給与への価値観

少々センシティブな話ですが、学びが大きかった部分なので書いていきます。

給与額は、歩合制でない限り、自身の成果やスキルが与える影響はあまり大きくありません。
むしろ、「給与が高い」という事象の直接的原因は、長年会社に務めていることによる制度的な影響や、人材市場で価値が高いことの影響など、環境の要因が大きいと考えるべきでしょう。

私はこの職種変更で年収が3桁万円くらい下がりました。もちろん企画職としての私は完全なる未経験者ですので、能力給として当然の変化だと思いますし、不自由なく生活できる分はいただいておりますので、未経験者に対しては破格の待遇をしていただいていると思います。
しかし、給与額の変化によって自身の視点が変わったことは言うまでもないでしょう。

特に年収というのは社会的階級にも直結しており、社会的生物である人間のスティグマともなり得るものです。上述の共感の限界で、年収差が相手を隔てる壁となってしまう場合もあるでしょう。

プログラマは市場価値が高く評価されており、給与額も高いです。これを「自身がプログラムを書ける能力があるから」待遇が良いのだと考えてもよいのですが、私はそう考えなくなりました。特に給与額を自己肯定感や自己能力と直接結びつけている場合、鼻持ちならぬ人と見られるようになってしまうのだと考えます。


おわりに

しばらく悶々と考えていたことを吐き出せたのでとても清々しい気持ちです。
私の肩書としてはエンジニアではなくなってしまいましたが、自分自身のエンジニアリングにまつわるスキルが無くなったとは微塵も思っていません。特に、プログラミングにおけるモデリングの感性やスキルは万物に応用可能であり、抽象性が高い事項を整理する際にエンジニアスキルが大いに役立ちます。タイトルで「エンジニアをやめた」とは書きましたが、今後エンジニア職に立ち返る時が来るかもしれません。

いままでのエンジニア職の経験も、いまの企画職の経験も、必ずこれからの人生の糧にしたいと思っています。

 

緊急事態宣言が明けたら、またいろんな人に会いに行きたいです。